こんにちは!
ドラマブログを綴ってはいますが、大した記事を書けているとは思っていません。なんともまぁ感想のような感じだったり、セリフに注目して見たり、俳優さん女優さんたちの間や空気感。あれが演技なんだって思うとすごいなぁと思うわけです。
ドラマ全く関係ないんですが、今日母親が癌だと聞かされました。兄貴からの兄弟のグループにいきなりのLINE。
「お母さん子宮ガンやって」
いつもと同じく絵文字も顔文字をつけてこない兄貴に何も思わないが、内容が内容だけに絵文字のない文脈の怖さを知った。それとともに一瞬言葉を失った。なんて返していいのか分からず既読スルーの状態が10分ほどだろうか?妹からもまだ何も返ってこない。
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正しい反応なんていうのはもちろんないのだろう。そんなの嘘じゃんと笑い飛ばせるエイプリールフールはとっくに過ぎている。しかし嘘でもそんなことを言って来るような兄貴じゃない。絞り出した返信はこうだった。
ステージは?
ガンって聞いただけですぐに “ 死 ” というものに直結しがちだが自分の動揺を隠すためにその質問での返信となった。その質問も厄介だった。返信が返って来るまでの時間はなんとも長かった。その長さが嫌な想像しかさせない。
それはそういうものだろう。平然と暮らしていた毎日に突如襲いかかってきた癌という敵。今まで普通に見えていたものが全て曇って見えるようだった。昨日見た「母になる」では結衣(沢尻エリカ)が息子が生きていたという事実で、今まで気がつかなかった花屋に気付けるくらいだ。それと逆のことが僕には起きたのだから。
返信の内容はこうだった「まだ精密検査をしてみないと分からない、今日病院に行って、症状だけを聞いたら癌で間違いないらしい」とのこと。その医者は正しいのだろうか?そこで検査してこいよと思うのは正常な考え方だろうか?
兄や妹らはすぐ近くに住んでいていつも顔を合わしているが、僕だけこの関東にいて年に2度しか顔を合わせることはない。
ついこの間、夫婦で旅行に行った時の写真が送られてきていた。あぁ伊勢行ってきたんだなぁとか思いながら対して写真なんてみていなかった。でもこんなことがあってから母親の写真を見返してしまう。
老けたなぁ、第一印象はそれだ。そりゃそうだろう、しかし母親の年ってパッと頭に浮かんでこないんだよな。でも兄貴とちょうど2回り違うから今年の五月で54。そりゃ老けるよな。
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おっちょこちょいで、うるさくて、いかにもお母さんっていうような母親。元気と愛嬌しか取り柄がないような母親。いつまでも元気でいてくれる存在だと思った母親に急な癌宣告。余命宣告とかではないからまだ良かったが、来週の月曜日をどんな気持ちで迎えればいいのか未だ分からずにいる。
僕には両祖父母がまだ生きている。僕が生まれ育った27年間で親族が亡くなったのは中学2年生の時の母方の曽祖母だけだった。だからこそ親族の死、むしろ人の死にこれまで関わることがかなり少なかった。
だからこそ今回のことを聞いても、母の“ 死 ”に関してはまだ到底先の未来だと思っている。癌を宣告されたからと言って、そこの先に死があるとは限らない。そう思わないとやってられないのかもしれない。
だってまだ母方の母方の曽祖父母が揃って健在なのだから。中2の時に亡くなったのは母方の父方の曽祖母。長寿家系だと思われるこの家系で、母が一番最初に亡くなることなんてないだろう。そう思っている。そう思いたい。
親が病気になって初めて「どうしてもっと親孝行してあげなかったんだろう」と後悔する人は多い。でも僕はそうではない。親孝行は僕が生まれた時から始まっている。産んでくれた母に対しては二十歳を超えて毎年、「産んでくれてありがとう」という小っ恥ずかしいラインも送っている。
親孝行と感じていたかは別として、僕は常に親のことを考えて行動してきていたつもりだ。反抗期もなく純粋に育ったと思っている。親がやっている仕事(床屋)の仕事を見て同じように人の髪を切る仕事に就いた。
自分の中ではあと2年。この関東にいて、それからは九州に帰り仕事をする。親の近くで親の仕事と同じようなことをやりたいと思っている。それが一番の親孝行だと思っているから。僕はまだ最中なのだ。親孝行の。だからまだ困る。
と言ってもお医者さんが症状だけを聞いて間違いなく「癌」だと言ったとはそこまで重くないということではないだろうか?普通だったら家族に連絡とか、そういうことをするのではないだろうか?テレビドラマの見過ぎだろうか?
それでも自分の母親は大丈夫だろうという気持ちが強いのは自分の家族だからだろうか?みんながみんなそう思うのだろう。自分の家族に限って。。。
しかし、まず来週の精密検査の結果を待ちたい。早期発見で子宮を取り除けばこれまで通り普通に暮らせる。「あの時は焦ったよな」と笑い飛ばせる日を想像しながら。